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Imagine/John Lennon

12月8日になりました・・・
俺はこの日の事を書きたいが為にブログを始めたような気がします。
真珠湾攻撃の日でもありますが、俺の中では自分の誕生日よりも忘れない日です。
ジョン・レノンが、ニューヨークの自宅前で射殺された日です。

俺はまだ中学1年生だった。
学校から戻ると、当時やっていたワイドショー「3時のあなた」で大きく報道されていた。
その頃の俺といえば、外国の事などには興味は無く、ジョン・レノンの存在すら知らなかった。
それでもテレビで連日ジョンの死について放送をしていた事は記憶に残っている。

その2年後に、俺はジョン・レノンの熱狂的ファンになる。
きっかけはいつだったかこのブログでも話をしましたが、クラスの秀才がビートルズを好きだった事と、当時流行っていたYMOのアルバムにビートルズの曲があった事、また、明星などのアイドル雑誌でもビートルズは取り上げられ、当時好きだった沢田研二もビートルズに夢中だったと知ったからです。

Imagine/John Lennon_f0091289_144622.jpgその頃、映画の「悪霊島」の主題歌に「レット・イット・ビー」が使われていて、日本のみ「レット・イット・ビー」と「ゲット・バック」のカップリングシングルが発売されていました。また、英語の教科書にも「レット・イット・ビー」と「イエスタディ」が掲載されていました。とにかく音楽を好きになれば、必ずビートルズを通過しなければならない状況でもありました。そんな状況の中「ビートルズを知らない人は可哀想だなぁ」と思う程、俺はビートルズに熱狂してしまいました。
そして、だんだん気持ちはエスカレートしてきました。ジョンやポールの生き方にも興味が出てしまい、ビートルズに関連する本は必ずと言っていいほど買いあさり、ジョンの生き方に惚れてしまいました。そして何故、殺されなければならなかったのか・・・と、

1980年12月8日の午前中、自宅でニューアルバム用のフォトセッションに臨んだ。グリースでリーゼント風に髪を整え、眼鏡を外して撮影をした。その姿はデビュー前を彷彿とさせるもので、ジョンなりに初心に返って新たな人生を始めようとしているようでもあった。

夕方にはオノ・ヨーコの新曲「ウォーキング・オン・シン・アイス」のミックスダウン作業のため、ニューヨーク市内にあるレコーディングスタジオへ出掛けた。この時、自宅のダコタ・アパートの前には雑誌カメラマンと、ハワイ・ホノルル出身の精神疾患を患ったファン、マーク・チャップマンが待ち構えていた。チャップマンはこの時、ジョンのニューアルバム「ダブル・ファンタジー」を差し出し、サインを貰った。この様子をカメラマンが撮影し、ジョンの生前最後の写真は皮肉にも、数時間後に自らの生命を奪うことになる殺人犯とのツーショットになってしまった。

一方、レノン夫妻はラジオ番組のインタビューを受ける。この最期のインタビューの中で、皮肉なことに、「死ぬならヨーコより先に死にたい」「死ぬまではこの仕事を続けたい」などと、まるで数時間後に自らに降りかかる悲劇を予言するかのような発言を残している。

その後、チャップマンはジョンの帰宅を待つためにその場にとどまった。そして午後九時頃、アパートの前庭に忍び込んだ。午後10時50分、スタジオ作業を終えたジョンとヨーコの乗った車がアパートの前に到着した。ジョンとヨーコが車から降りた時、チャップマンは前庭に隠れ、ジョンが彼の前を通り過ぎたとき暗闇から「ミスター・レノン?」と呼び止めると、銃を手に取り前に進み、両手で構え5発を発射した。4発がレノンの胸、背中、腕に命中し、レノンは「撃たれた、撃たれた」と叫びアパートの入り口に数歩進んで倒れた。

警官の到着時にジョンはまだ意識があった。しかし、大量出血し危険な状態であった。二人の警官が彼をパトロールカーの後部に乗せ近くの病院に搬送した。一人の警官が瀕死のジョンの意識を保たせるため、あなたは誰かと尋ねると彼は「僕はビートルズのジョン・レノンだ」と答えたという。病院到着後医師は心臓マッサージと輸血を行ったが、ジョンは全身の八割の血液を失い、失血性ショックで午後11時過ぎに死亡した。伝えられるところによれば、死亡時に病院で流れていた曲はビートルズの「オール・マイ・ラヴィング」だったという。

事件後チャップマンは現場から逃亡せずに、警官が到着するまで「ライ麦畑でつかまえて」を読んだり、歩道をあちこちそわそわしながら歩いていた。彼は逮捕時にも抵抗せず、自らの単独犯行であることを警官に伝えた。ニューヨークのとあるリポーターはチャップマンを取り調べた警官の談話を聞いた。警官はチャップマンを「田舎のイカれた奴」と語った。

ジョンの射殺に関しては、当初、ケネディ大統領の暗殺と同様のケースという主張や、「FBI関与説」なども持ち上がったが、現在は、「マーク・チャップマンの単独殺害」として結論づけられている(しかしオノや息子ショーン、先妻との息子ジュリアンはそれを信用していないといわれている)。
また、当時「チャップマンはジョンの熱烈なファン」という報道と共に様々な憶測も飛び交ったが、同犯人はある種の精神疾患的な症状もあり、「熱烈なファン」という説明自体も疑問視されている。


かなりWikipediaから引用してしまいました。
当時の事は全く知らないので、本で読む限りの事しか知らない。
幾度と無くテレビで「ジョンの死」について特番が放送されたが、上記でも述べているようにマーク・チャップマンの単独殺害という事以外の事実は公表されていない。
こんなに深く想っているのに、生きていた頃を知らない自分が悔しい。
最後に死の直前1980年11月17日に発売されたアルバム「Double Fantasy」の中の「Woman」の歌詞の中に、「I love you now and forever」(今も そして 永遠に君を愛す)と歌っているジョンの声を聴くと、今でも涙は流れてしまいます。

Imagineを聴いて下さい・・・平和の祈りをこめて