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真夏の果実

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1990年7月25日に発売されたサザンオールスターズの「真夏の果実
この曲にはとても思い出が詰まっていて、今でも俺の心の中の名曲の第1位に輝いている。


1987年、19歳。高校を卒業して専門学校へ進学して1年。
「バイトに出勤すればお金が手に入る、好きな物も買える。友達と遊びに行ける」
そう考えていて、学校をサボってでもバイトに集中いた。

3月になり春休みを利用してバイトする新人さんがバイト先にやって来た。その中に1人とても名前が変わった女の子がいた。その名前は鍬形(クワガタ)さんと言った。
とても笑顔が可愛くて愛嬌があり、俺は生まれて初めて一目惚れを経験した。
今でも信じられないけど会ったその日に連絡先を聞き翌日には電話をしていた。

それまでの人生で女の子と付き合った事の無い俺は、当然のように想いは伝えられなかった。
4月になりその子はアメリカへ1年間ホームステイをする事になっていた。
「2週間くらいしか無い春休みの間に進展しなければこのまま会えなくなってしまう」
そうは考えたものの何をしていいのか分からず、ただ毎日電話ばかりしてくだらない話ばかりしていた。・・・・そして彼女はアメリカへ行った。

1ヶ月くらいしたらその彼女から手紙が届いた。
内容はアメリカで元気にやっていると二言三言だったが、俺はかなり嬉しかった。
急いで返事を書いた。年賀状以外で手紙を書くのは初めてだった。
何を書いたか覚えてないが夢中で書いた。
2,3度手紙のやり取りがあって、思い余って国際電話をしてしまった。
何を話していいのか分からない・・・けれど電話してしまった。
ちなみに後で請求が来てびっくりした。
たった12~3分くらい話しただけだったが当時の国際電話は高く¥18,000くらいだったと思う。
親に怒られたのは言うまでもない!

翌年の3月に帰って来ると連絡があった。
しかし、彼女に恋人が出来たのか嫌われたのか分からないが急に連絡が取れなくなった。
いつ電話しても親が出て「今いないの、ごめんね」と言われ電話を切った。
帰国後1ヶ月して急に向こうから電話があった。
「ごめんね」と言って会う約束も出来ず電話を切った。

1年後・・・

ホームステイ1年間、国内で1年間の学校だったらしく、そこを卒業した彼女は就職していた。
なんと朝の通勤電車が一緒だったのだ。
駅で電車を待っていたらその彼女は突然現れた。
とりあえずその日だけだろうと思い一緒に行った。彼女は埼京線で新宿まで、俺は板橋までだった。これでもう会えないだろう。いや、彼女はこの場所から通勤はしないだろうと思っていた。しかし彼女は次の日も普通に「おはよ~」とか軽く現れた。俺は目が点になった。
そして次の日も、その次の日も・・・
気が付けば毎朝一緒に通勤するのが当たり前になっていた。
たまに一緒に会社をサボり池袋で朝から遊んだり、帰りにご飯を食べに行ったり、休みの日に買い物に行ったり・・・何かそれだけで幸せだった。
もちろん想いを伝える事はなく友達として・・・
その頃一緒に「稲村ジェーン」を観に行ったのを覚えている。池袋で・・・

そんな関係が2年程続いた。
彼女は突然転職をした。
毎朝駅に現れた彼女は来なくなった。
久々に電話をしてみた。
「元気?」
「元気だよ!そっちは?」
「元気だよ!去年さぁ、一緒にサザンの映画みたじゃん!まだサザン好き?」
「大好きだよ!」
「コンサートのチケットがあるんだ。一緒に行かない?」
彼女はすぐに返事をしなかった。

2日後駅のホームに彼女がいた。
「こうやって行くの久しぶりだね」
いつもの笑顔とともにそう言った。俺も何故かつられて笑っていた。
「行くよ」
「え・・・?」
「いや、だからサザンのコンサート!」
「マジ?」

1991年の夏、武道館でのコンサートへ行った。
その日を最後に会う事はなくなる・・・

都合4年半くらい親密な関係にはなってないものの付き合いはあった。
夏になるとどこからか「真夏の果実」が流れると思い出す。
その後のサザンのコンサートで「真夏の果実」を演奏したのは2度くらい・・・あまり聴かない。
その曲を聴くと駅のホームで彼女が笑顔で俺に「行くよ」と言ってるみたいに感じて、時の流れと若かったあの頃の風景がよみがえる。
心にアルバムがあったら1枚だけそっと分からないように胸の何処かにしまっている大切な思い出。そのBGMには「真夏の果実」が流れている。